<社説>新国立競技場 「聖地」に見合う見直しを


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 2020年東京五輪・パラリンピックのメーンスタジアムとなる新国立競技場の建設に向けて、日本スポーツ振興センターが施工業者と初の契約を結んだ。

 2520億円もの巨額な総工費は東京スカイツリーの4本分にほぼ相当する。文部科学省の15年度スポーツ関係予算の8倍以上である。批判が高まるのも当然だ。
 総工費の大半は税金だが、建設計画の妥当性について国民への説明は十分ではない。国家プロジェクトだからといって、国民を軽んずるようなやり方はあまりに乱暴過ぎる。
 1300億円の想定だった総工費は基本設計で1625億円となり、実施設計では2520億円に膨れ上がった。それも開閉式の屋根を五輪後に先送りした額であり、最終的には3000億円に迫る可能性が指摘されている。
 五輪スタジアムの建設費は08年北京約500億円、12年ロンドン約800億円である。新国立競技場が高額となったのは、2本の巨大キールアーチなど特殊なデザインが要因である。斬新なデザインへのこだわりを捨てれば、大きく減額できるということだ。
 だが、菅義偉官房長官はデザインを維持する考えだ。理由の一つとして「国際オリンピック委員会総会で世界に発信し、五輪開催を勝ち取った経緯」を挙げている。
 競技場のデザインで東京五輪開催が決まったわけではない。東日本大震災からの復興を掲げて招致を勝ち取ったことを忘れてはいないか。
 大震災の避難者は今も20万人いる。「国の借金」は14年度末時点で約1053兆円、国民1人当たり約830万円の借金を抱えている計算だ。コストに見合った競技場になるのかについても、十分な検証がなされたとは言い難い。
 そのような状況で、巨費を投じることに国民の理解が得られるだろうか。
 デザインを変更すれば、19年ラグビーW杯に間に合わないとの指摘がある。だが、難工事とならない変更なら対応は十分可能だろう。
 旧国立競技場は「聖地」と称された。新国立競技場もそれにふさわしい施設にすることに異論はない。だが、巨費を投じることが「聖地」の条件ではない。
 選手や観客、そして国民の視点に立ってこそ「聖地」となる。それに見合った見直しを求めたい。