<社説>新国立競技場建設 無責任の連鎖は許されない


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 安倍晋三首相は新国立競技場の建設計画案を白紙撤回し見直すと表明、工費を縮減した新計画案の早急な策定を関係閣僚に指示した。総工費が2520億円にまで膨れ上がり、迷走を続けた建設計画は、首相の一声で振り出しに戻った。

 コスト削減を促す国際オリンピック委員会(IOC)の五輪改革の趣旨にも沿う判断だ。だが、国民の批判が抑えられなくなってからの「五輪の顔」新国立競技場の見直しは、あまりに遅過ぎた。しかも責任の所在は不明確だ。
 これまでのデザインは、2012年に国際コンペで決定。2本の巨大なアーチなど当初からコストの増大が懸念された。結局、総工費はデザイン選定段階の1300億円から約2倍にまで膨らんだ。
 近年の五輪主会場は数百億円規模で、東京はあまりに突出していた。「東日本大震災からの復興がままならない中、湯水のごとく公金を浪費する計画だ」「政治家や官僚は民間に比べお金の感覚、管理が甘い」との指摘も当然だ。
 今回の混乱や、19年ラグビーW杯日本大会の会場変更により、日本は国際的な信用を失いかねないとの懸念も出ている。見通しの甘さが露呈した事業主体の日本スポーツ振興センター(JSC)、所管する文科省の責任は免れない。
 責任回避と取れる発言を繰り返した下村博文文科相、東京五輪・パラリンピック組織委員会会長の森喜朗元首相らも含め、関係者の危機感、当事者意識が著しく欠如していたと言わざるを得ない。
 ここまで問題を放置してきた安倍政権の責任も重い。首相は13年9月のIOC総会で「ほかのどんな競技場とも似ていない真新しいスタジアム」の建設を約束し、招致につなげた。今回の白紙撤回は国際公約をほごにした形だ。 
 白紙撤回はトップダウンによる決断を演出したつもりだろうが、安保関連法案の採決強行で、内閣支持率下落に歯止めをかけるのが狙いだとしたら、国民は納得しない。首相は迷走の責任の所在を明確にした上で、新計画案策定に向けた体制づくりを急ぐべきだ。再び無責任の連鎖を招いてはならない。
 主役は競技場ではなく、選手たちだ。外観ではなく、選手たちを支え、使いやすい競技場が求められる。その場に立つことが誇りに思える場であり、五輪後には一般の人々が喜んで使える施設にすべきだ。