<社説>安全保障の議論 軍事強化の末路見据えよ


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 安保法制をめぐる国会での審議は、本質的な論議が不足している気がしてならない。何が安全をもたらすか、という視点だ。

 論戦は今週から参議院に舞台を移す。ぜひ根本に立ち戻った本質的な論議をしてもらいたい。
 カナダのブリティッシュ・コロンビア大学のマイケル・D・ウォレス教授が軍備拡張競争をテーマにした論文で興味深い事実を示している。1816年~1965年の150年間の大国同士のいさかいについて調べたものだ。
 このうち軍拡競争をしていたのは28例あり、23例は実際に戦争に突入した。これに対し軍拡競争をしていなかったのは71例で、戦争になったのは3例。軍拡競争をすれば82%が戦争に至り、軍拡しなければ4%しか戦争しないということ。軍拡が戦争を招くのだ。
 「安全保障のジレンマ」という概念がある。自国の安全を高めるため軍備増強をしたり軍事同盟を強めたりすれば、それを脅威に感じた相手国も同じようにし、緊張を高め合って、ついに双方とも望んでいなかった戦争に突入してしまう。そんな状況を指す。前述の150年間の実例は、まさにそれを実証している。
 戦争は「コミュニケーションの失敗」ということでもある。軍拡が疑心暗鬼を生じ、戦争を望まないという相手国の本音を見えなくさせてしまう。そうした意思疎通の失敗の結果が戦争なのである。
 今回の安全保障法制は、端的に言えば、日本が米国の戦争に付き合うから米国も日本の戦争に付き合ってほしいということだ。それが相手国、この場合念頭にあるのは中国だが、相手国の戦争への意欲をくじく、つまり「抑止力」になるという見立てである。
 しかしこの軍事同盟の段違いの強化が「安全保障のジレンマ」を強めるのは間違いない。米国の戦争に付き合うことで第三国の恨みを買うだけではない。目の前の緊張も高めてしまうのである。
 大国が連なる武力行使が、当該国にかえって内戦やテロの連鎖をもたらすのは、中東やアフリカの例でも明らかだ。相互の信頼を忍耐深く積み上げ、解決策を模索する外交的努力の価値はいやが上にも高まっている。
 その意味で、戦後日本の平和主義は貴重な財産である。それを基に相互信頼を深めることこそ、最も有効な安全保障政策ではないか。