<社説>戦後70年終戦記念日 不戦の誓いを新たに 評価できない首相談話

 戦後70年の終戦記念日を迎えた。ことしは多くの人が不戦の誓いを新たにしているのではないか。

 言うまでもなく、他国を武力で守る集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法案が国会で審議されているからだ。
 法案は7月中旬に衆院を通過したが、国民からは新たな戦争に巻き込まれかねないとの懸念が消えない。それにもかかわらず、安倍晋三首相は今国会中の成立を目指すという。戦後70年間、日本が培ってきた平和主義や専守防衛の国是は根本から揺らいでいる。

直接の謝罪避ける

 政府は戦後70年の安倍首相談話を決定した。戦後50年の村山富市首相談話が明記した先の大戦をめぐる「おわびの気持ち」「侵略」などの言葉が盛り込まれた。
 中曽根康弘元首相の言葉を借りるまでもなく、大戦でのアジア諸国に対する日本の行為が「紛れもない侵略」だったことは動かしようのない事実だ。アジアに多大な犠牲と苦痛を与えた歴史と向き合い、謝罪するのは当然である。
 だが安倍首相の談話には違和感を覚えた部分も少なくない。主語や対象を明確にせず、首相自身の考えに曖昧な点が数多く残った。
 おわびは「わが国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきた」と歴代内閣による謝罪の経過を紹介する中で触れた。「歴代内閣の立場は、今後も揺るぎない」と付け加えたが、直接的な謝罪は避けた。
 侵略に関しては「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、二度と用いてはならない」「植民地支配から永遠に決別しなければならない」としたが、客観的表記にとどまる。「戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた」ことに触れたが、加害の立場に言及しなかった。
 一方で「戦争に関わりのない世代に、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と述べた。これは「歴史に真正面から向き合う」姿勢と矛盾しないのか。それとも謝罪はもう十分ということなのか。
 首相は過去の国会答弁で「侵略という定義は学問的も国際的にも定まっていない」と述べて物議を醸した。14日の会見でも「どのような行為が侵略に当たるかは歴史家の議論に委ねるべきだ」などと述べている。
 公明党や中韓両国など国際世論への配慮から渋々「おわび」したのではないか。そうした疑念はかえって深まった。率直に加害の過去を反省し、アジアにわびる言葉がなかった点など評価できない。

軍隊は住民を守らない

 沖縄は戦争で本土防衛の捨て石となり、県民の4人に1人が命を落とした。その沖縄戦から私たちが得た最大の教訓は「軍隊は住民を守らない」ということだ。
 沖縄戦で日本軍が守ろうとした「国」とは何か。12日に琉球新報社の「琉球フォーラム」で講演した戦史・紛争史研究家の山崎雅弘氏から含蓄に富む話があった。
 山崎氏はドイツに降伏したフランスが国家体制、領土の順に切り捨てて国民の生命・財産を守ろうとしたのに比べ、日本は逆に国民を最初に切り捨てて国家体制を守ろうとしたと報告。戦後日本の安保論議から、軍と市民の関係性の総括が欠落していると指摘した。
 談話で首相は「いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきだ」と表明したが、一方では多くの国民が「戦争法案」と懸念する安保法案の成立に突き進んでいる。不戦の誓いに逆行するような動きが、国民に「新たな戦前」の不安をかき立てている。
 首相は会見で「未来に向け世界で日本はどういう道を進むべきか」と問うたが、憲法の国民主権や平和主義に基づく戦後の歩みを続けることこそがその答えだ。市民よりも国家が優先された過ちを繰り返さないために、今こそ不戦の原点を見詰め直すべきだ。