<社説>沖縄予算 「厚遇」は印象操作だ


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 2016年度予算の概算要求で内閣府が沖縄関係予算として総額3429億円を求める方針という。全国メディアは「要求額の3千億円超えは4年連続で、沖縄振興を重視する姿勢をアピールする狙いがある」などと報じている。

 そのような「沖縄厚遇」を印象づける狙いが政府にあるのは確かだろう。だがこれを厚遇と見るのは誤りだ。
 内閣府の沖縄関係予算は1994年度に3千億円台に乗せ、以後11年続いた。だが「地方切り捨て」と評された小泉構造改革さなかの2005年度に3千億円割れし、再び3千億円台に乗せたのはようやく13年度のことだ。
 政府全体の予算は94年度が73兆円余、15年度は96兆円余とこの21年で30%余も増えている。沖縄関係の3千億円台乗せは、いわば不均衡に切り込んだものを正常化したにすぎない。
 20年前に比べると横ばいで、日本全体の増え方に比べるとむしろ見劣りする。これで「沖縄振興重視」と言うのは印象操作に等しい。
 そもそも「沖縄振興予算」と呼ぶのは適切でない。あたかも沖縄だけが特別な財政支援を受け取っているかのような印象を与えるからだ。それは大きな間違いだ。
 他県での事業は各省庁の予算に含まれる。いわば全国予算に「溶け込んで」いるのだ。だが沖縄は内閣府沖縄担当部局(旧沖縄開発庁)が一括計上する仕組みで、沖縄関係だけ取り出して見やすいから別枠のように見えるのだ。だがこの予算の大部分は福祉や教育など、全国横並びの、全国どこの県でも受け取っている事業費である。
 復帰後40年間の沖縄関係予算の累計は、政府全体の一般会計予算総額の0・63%にすぎない。沖縄の人口は全国の1・1%だから、1人当たりで見るとむしろ全国平均より4割弱少ないのだ。
 ほとんどが他県と横並びで、よく見ると全国平均に満たぬ予算でありながら、「厚遇」であるかのように見なすのは誤りと分かる。まして辺野古新基地受け入れの対価であるかのように言うのは不当極まりない。
 新基地建設を沖縄が拒否した場合、政府はこの概算予算を大きく切り込むともささやかれる。その場合、全国どこの県でも実施している事業を、沖縄に対してだけは、米軍基地を受け入れなければ実施しないと言うのに近い。その差別性を政府は十分認識した方がいい。