<社説>知事国連演説へ 人権侵害克服の礎に 世界に自己決定権発信を


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 翁長雄志知事が21日から22日にかけて、スイス・ジュネーブの国連人権理事会などで演説する。日本の都道府県知事として初登壇し、米軍基地の存在によって県民の人権が侵害されている状況と、民意に背を向けた日米の圧政を告発する意味合いがある。

 知事選挙を経た正当な民意を基盤とする知事が、戦後70年たっても沖縄に横たわる不条理を改めるよう、国際社会に支持を訴える。不退転の決意で臨む行動の意義は大きく、知事を送り出す県民も沖縄の未来を拓(ひら)く礎と意識したい。

歴史的必然性

 関連シンポジウムを含めて、日米両政府が基地の島OKINAWAに負わせている非人道的状況を世界に発信することは、沖縄の「自己決定権」の確立に向けた極めて重要な一歩となる。
 「日本領土内で住民の意思に反して不当な支配がなされていることに対し、国連加盟諸国が注意を喚起することを要望する」
 1962年2月1日。琉球政府立法院で沖縄の施政権返還を求める決議が全会一致で可決された。
 日本から差し出され、米統治下に置かれた沖縄の代表である立法院が米国の植民地的支配を鋭く批判し、沖縄の主権回復を世界に訴え掛けた「2・1決議」である。
 発議者代表として党派を超えてまとまった決議文を読み上げたのは、沖縄自民党に籍を置いていた翁長知事の父・助静氏だった。
 「2・1決議」は、1960年に国連総会が植民地統治の違法性を明確に打ち出した「植民地主義無条件終止宣言」を引用して練り上げられた。沖縄住民の自治権と人権を守ることを目指した普遍的価値は今も輝きを放っている。
 米軍の圧政に抗(あらが)う乾坤一擲(けんこんいってき)の決議は104カ国に送られ沖縄の施政権返還にも影響を与えた。だが、県民の血のにじむような訴えにもかかわらず、基地重圧は今も人権を脅かしている。
 あれから半世紀余を経て、「オール沖縄」を掲げる翁長知事が国連の場で沖縄の近現代史と固有の権利を軸に人権擁護を訴えることには歴史的必然性があろう。
 沖縄への基地集中と名護市辺野古への新たな基地の建設がいかに沖縄県民の人権と尊厳を傷つけているか。歴史を踏まえて、知事は植民地的状況を増幅させている日米の非道を敢然と突いてほしい。

命の二重基準断とう

 人権理事会は国連加盟国の人権状況を定期的、系統的に見直し、深刻な人権侵害には勧告などを通し迅速に改善を促す。安全保障理事会などと並ぶ主要機関だ。
 沖縄戦後に接収を重ねて形成された米軍基地は、沖縄の「自己決定権」を侵した。その主体である住民の権利は歴史に根差し、固有の文化とも密接な関連がある。国際法の主体で自己決定権を有していた琉球・沖縄の民の同意なく、先祖伝来の土地や海が日米に組み敷かれた。7割以上が常に反対する強固な民意を無視して強行の度を増す辺野古新基地建設は、紛れもなく地続きの人権・自己決定権侵害の象徴なのである。
 沖縄返還後も年平均で約3件の米軍構成員による女性暴行事件が起き、米軍機墜落も後を絶たない。米本国や本土の基地では到底できない基地の運用も際立つ。ウチナーンチュの命が差別を帯びた形で不当に軽く扱われる二重基準を放置することは許されない。
 世界の識者が支持するように、民主主義の正当性は沖縄にある。国連演説を機に沖縄の自己決定権に対する自覚を一層深めたい。