<社説>琉球新報賞 先達の信念に学びたい


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 沖縄の現代史には、信念を貫いて時代と格闘してきた人々がそこかしこにいる。その奮闘がなければ、私たちの今の暮らしはあり得なかったろう。感謝を胸に刻みつつ、先達の信念に学びたい。

 第51回琉球新報賞の受賞者は、まさにその代表例である。沖縄振興功労の吉元政矩さん、経済・産業功労の比嘉榮仁さん、社会・教育功労の金城眞吉さん、文化・芸術功労の平良とみさん、稲嶺盛吉さんの5氏だ。
 吉元さんの副知事時代の水際立った活躍を知らぬ人はいるまい。当時指揮した国際都市形成構想は現在の沖縄21世紀ビジョンの源流だ。主導した基地返還アクションプログラムは、県内の米軍基地を2015年までに全て返還させるという野心的な企てだった。嘉手納基地包囲を発案したのもこの人だ。その卓越した構想力、交渉力は、時代をはるかに先んじていた。
 比嘉さんが幹部・社長・会長として琉球海運の経営再建に取り組んだ40年の歩みは、会社消滅の危機と常に背中合わせだった。しかし、石油危機時には燃料費連動の運賃制を導入し、人の移動が空の時代に入ると貨物船主体に切り替えるなど、大胆な変革を粘り強く実施、海運の灯をともし続けた。
 沖縄がボクシング王国と呼ばれるようになったのは、間違いなくこの人のおかげだ。金城さんは興南、沖縄尚学の両高校で44年の長きにわたり指導した。世界のボクシング史に刻まれる偉大な具志堅用高氏を筆頭に、数々の名選手が金城さんの元から巣立った。育てた「高校日本一」は30人に上る。
 沖縄の「おばあ」の愛らしさを満天下に知らしめたのがこの人であるのは衆目の一致するところだ。NHKのドラマ「ちゅらさん」に出演した平良さんは、沖縄ブームのけん引役になった。映画「ナビィの恋」の姿も鮮やかだ。しまくとぅば継承への貢献も大きい。その存在は沖縄の宝と言っていい。
 稲嶺さんのガラス作品は、間近に接すると息をのむほどの美しさだ。泡ガラスを創始したその創造力は、琉球ガラスを単なる廃品利用から工芸へ、ついには芸術へと昇華させた。素材に備長炭やカレー粉を試みたりと、創作意欲は今も旺盛で、芸術・工芸に携わる人のお手本である。
 5氏に共通するのは、一筋の道を極めようと懸命に努力し続けた、その姿勢だ。このような先輩を得た私たちの幸運をかみしめたい。