<社説>奥西死刑囚獄死 全面的証拠開示で冤罪救え


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 1961年3月、三重県名張市で農薬が混入されたぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡した「名張毒ぶどう酒事件」で、獄中から無罪を訴え続けていた奥西勝死刑囚が病死した。89歳だった。妹が再審請求を引き継ぐことになったが「生きて冤罪(えんざい)を晴らす」との願いはかなわなかった。

 確定死刑囚としての収監期間は43年にも及んだ。冤罪の可能性を消せぬままの獄死は、本人だけでなく支援者らにとっても無念の結果だろう。残酷な「獄殺」だと指摘する支援者らの言葉を司法当局は真摯(しんし)に受け止めるべきだ。
 そもそも64年の一審津地裁は「他の人物も農薬を混入できた」との判断を示して無罪判決を言い渡している。7度目の再審請求では、名古屋高裁が2005年に「事件現場となった公民館以外の場所で、別の何者かが毒物を混入した疑いがある」として再審開始を認めた。しかし、検察側の異議申し立てを受け入れ、高裁の別の裁判長が取り消した。
 有罪の立証ができていないと判断した裁判官が少なからずいた事実は重い。だが「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の原則は無視され続けた。冤罪の可能性を残したまま、司法判断は二転三転した揚げ句、一人の人間を獄死に追い込んでしまった。
 事件には多くの謎が残されている。しかし、弁護団が重要証拠と位置付けた事件直後の現場写真が開示されていないなど、真実に迫る可能性を秘めた未開示証拠を検察側が独占したままだ。50年以上前の事件で弁護側が独自に新証拠を得るのは極めて難しく、検察側に開示を命じなかった裁判所の判断には疑問を持たざるを得ない。
 近年、証拠開示によって冤罪が明らかになるケースが相次いでいる。「国家の犯罪」である冤罪を防ぐためにも、全面的な証拠開示の義務化は必要だ。
 奥西死刑囚の再審請求審では、検察側と弁護団の主張が激しく対立し、審理は約40年にも及んだ。全面的な証拠開示制度の導入は審理の迅速化にもつながる。
 また、請求した側が無罪を立証しない限り、再審開始が認められないという状況は改めるべきだ。さらに再審開始決定に関しては、検察側の異議を認めない制度改革が必要だろう。真に冤罪被害者を救済する再審制度とすべきだ。