<南風>一人の人間として


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 私はLGBTQs当事者の一人である。性自認は女性でもあり、男性でもある。このような「身体的性にかかわらず、性自認が男性にも女性にも当てはまらない」セクシュアリティーを日本では「Xジェンダー」と呼んでいる。性自認とは自分の性別をどう認識しているのかということ。

 物心がついた頃から、黒色や青色が好きだった。いわゆる女の子らしいと言われるような格好も嫌で、中でもスカートを履くことは苦痛でしかなかった。今でもスカートは持っていないし、履くことはないだろう。中学生になった私は女性アイドルを好きになる。しかし、クラスのほとんどの女の子は男性アイドルが好きだった。私は周りに合わせて、好きでもない男性グループを好きなように装っていた。この頃から、自身の性に悩むようになる。

 生まれた身体的性は女性だが、女性と自認はしていない、しかし男性と自認もしていない。自分自身が何者かが分からない状態で、ずっと感じてきたのは周囲になじめない感覚だった。一人でふさぎ込んでしまうことも多く、不登校になり、中学生活に何一つ楽しい思い出はない。

 日本を含めて多くの国では、性を男性と女性のみで分ける性別二元論を前提とした社会がつくられている。性別で判断されることも多く、生きづらさも生まれている。社会の「常識」が苦痛に感じることもある。性別を問われることそのものに嫌悪感や違和感を強く覚えている人もいる。

 気持ちが分からないのも仕方ない、無理に理解する必要もないが、性は「男女二つだけではなく幅広いもの」ということを頭の片隅に少しでも置いてもらいたい。男性でも、女性でも、どちらでなくても変わりのない一人の人間として向き合えることができれば、誰もが安心して暮らせる社会になるのではないだろうか。

(畑井モト子、琉球わんにゃんゆいまーる代表理事)