<南風>ネット社会と法律の限界


社会
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 本年4月26日の本紙で、米テスラ社CEOのイーロン・マスク氏が短文投稿サイト「ツイッター」の運営会社を買収すると報じた。マスク氏は買収でツイッター上の「言論の自由」を確保するとしている。以前にツイッターによりトランプ前米大統領など特定の有名人アカウントが削除されたことが「表現の自由」に反するという主張のようだ。

 ツイッターやフェイスブックなど、インターネット上で個人が情報発信する手段が近年増えている。これに伴い「表現の自由」が問題となる場もずいぶん変化した。大学時代(20年前)の法学部授業では「表現の自由」は、検閲や政治的活動に対する政府規制が許されるか、という憲法問題だった。従来ツイッターのアカウント削除判断は、同社の運用規則や社員によりなされてきたと思われる。民間企業、しかも海外企業である同社やその社員には、当然ながら日本国憲法はおろか米合衆国憲法ですら適用されない。つまり、アカウント削除に不満がある利用者は、憲法上の人権(表現の自由)を根拠として同社と争うことができないのだ。

 そもそも「表現の自由」侵害は裁判所ではなくマスク氏により判断されるべきだろうか? 実際そうなる可能性が高いが、民間企業の大株主が最高裁判事に代わる現状は我々法律家にとって非常に奇妙でもある。

 香港勤務時代に痛感したが、インターネットが普及した現代では従来の法律が無力になりつつある。例えば「日本語で日本人向けに薬品を販売する通販サイトの運営会社が香港にある場合、日本の薬事関連法の規制が及ぶか?」との質問を受けたことがあった。大学時代に読んだ法律の教科書に答えはない。法律や司法権は国境を越えることができないが、ネット社会ではビジネスや資本は容易に国境を越える。この状況は今後もさらに進むだろう。

(絹川恭久、弁護士・香港ソリシター)