<南風>素直な感情


社会
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 先日、妹が天に旅立った。彼女は、小さい頃に大病を患い、その後遺症で身体に不自由はあったが、興味のあることに挑戦し続けることのできる頑張り屋であった。ここ数年は、病との戦いだった。家族と会えない中、大好きなおいのことをいつも気遣っていた。

 息子にとって叔母の他界は、人生で初めての近しい人との別れである。「死」を理解してもらうため彼の中にある言葉を使い、ゆっくりと何度も伝えていった。妹のひつぎを前に息子へ「身体はもう起きることはないよ。心は天国に行ったよ」と話した。彼は初めは不思議な顔をして聞いていたが、徐々に新しい情報のインプットが進み「そうか、天国に行ったのか。いいな、僕も天国に行ってみたいな」とつぶやいた。彼にとって、叔母はすてきな場所へ旅立ったのだろう。

 くしくも妹の初七日は、母の88歳の誕生日であった。本来なら喪中で祝いの席を設けることはないが、息子にとって叔母の初七日と祖母の誕生日はそれぞれ別々の大切な時間のようだ。私の母も年を重ね、この後の人生で誕生祝は、大切な時間だ。妹の仏前で小さな誕生会を行い、息子は手話付きの歌をプレゼントし、和やかな時間を過ごした。息子は、叔母に会えない寂しさと祖母の誕生祝のうれしさを素直に同時に感じることができるのである。

 息子の成長が決して順調と言う訳ではない。問題行動や解決に時間のかかる課題も多々あり、本人にとって多くのことは、理解と定着までに長く時間がかかる。親として気が遠くなることも多々ある。

 反面、息子のその豊かな感性に私たち家族は救われることが多い。自分たちの凝り固まった考え方に気付かされ、本来の素直な感情を味わえる。息子との時間は、素直に生きていくために必要な大切な時間なのである。

(比嘉佳代、おきなわedu代表取締役)