<南風>「命」のこと


社会
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 最近よく考えるのは「命」のこと、テレビから流れてくる事件、事故、紛争などで思いがけず命を絶たれた人、自ら命を絶つ選択をしたというニュース。いろんな理由で命が失われていく昨今、考えずにはいられない。

 誰の人生にも必ず嵐は吹く、山を登る時もある、谷を渡る時もある。そんな時は不安や恐怖が襲ってくる。

 立ち止まって、どうするか自分自身で考えて行動するしかない。自分自身を信じて、周囲の人たちを信じて勇気を出してほしいと願う。私の言う勇気は一歩踏み出すことじゃない。そこにとどまってもいい、背中を向けてもいい。一歩踏み出せないことが終わりじゃない。どう選択するかを決める勇気。時間をかけていい。

 私にも山や谷や嵐はあった。不安だった、怖かった、何も考えたくなくて、人に会うこともしんどい時もあった。助けてほしいのに助けてと言えないことがとてもしんどかった。みんなが乗り越えられるよ、明けない夜はないと、大丈夫と励ましてくれる。でもそれさえもしんどかった。苦しさを分かってほしかった、ただ、そばにいて抱きしめてほしかった。背中や頭をなでてほしかった。幸いにも私にはそういう、家族や友人、仲間がいて、今、生かされている。

 いや「活かされている」今は「命」が自分だけのものではないと感じることができる。この「命」には意味があって、役割を持っていると感じられる。両親を通して宇宙から授かった「命」をどう燃やすのか、使うのかは私次第だ。

 これからも、嵐や山、谷は現れるだろう。その度に、空を見上げ、自然の癒やしに身を委ね、周囲を見渡し、自分の存在を感じて感謝しながら踏ん張りたい。それを繰り返して「命」が磨かれ輝くと信じていきたい。
(友寄利津子、NPO法人ライフサポートてだこ代表)