<南風>ユーモアと障がい告知


社会
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 わが社の事業所では、子どもの年齢や国籍、障がいの有無にかかわらず、同じ空間で共に成長できるよう過ごしている。毎年4月になると、新しい仲間が友達の障がいについて質問する。「なぜ平仮名が書けないのか?」「なぜ足し算ができないのか?」。その時先生は「障がい」について伝え方に戸惑うようだ。子どもが障がいについて質問をした時はチャンスだと思い、しっかり話をしてほしい。

 障がいは個性であり「治る。治らない」ではなく「変わる。変わらない」と捉えるものだと考えている。子どもの障がいは性格が一人一人違うように個性がある。さまざまな視点から、その子の様子や集団との関係を捉え、障がいについて一緒に考えていく姿勢を示すことが、大切なのではないか。大人が質問に対して困った態度を取ると、子どもはいけない質問をしたと思い、「障がい」に対するマイナスのイメージを持ってしまう。一方、その子の障がい特性の理解や状況について肯定的期待を持って伝えると、好意的対応を誘発することができると考える。

 さらに忘れていけないことは「ユーモアの精神」だ。フロイトが「ユーモアとは、つらく苦しい状況でも、その苦しみは自分を侵すことができないという姿勢を示すこと、むしろそんな状況でさえも自分は楽しんでいるのだということを、笑いで示すことだ」と言った。

 ユーモアは表面的な笑いではなく「精神」であり、マイナス要素も、その人の心、人間の尊厳を侵すことはできないという精神である。つまり障がいに人間の大切なものや明るさを奪わせない、という精神なのではないだろうか。障がいについての説明は、どうしても重くなりがちである。しかし明るい雰囲気の中で説明できる大人が増えると、障がいという言葉の差別が無くなるのではないかと期待を持つ。

(比嘉佳代、おきなわedu代表取締役)