<南風>座右の銘


社会
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 「人間、この未知なるもの」。私がこの言葉と出合ったのは、大学2年の秋、所属する研究室を決めるために、先生方の部屋を訪問した時だった。ある部屋で、たくさんの本の中にひときわ浮き立つ背表紙を見つけた時、ここで学ぼうと決心した。なんともしっくりきたのである。若さ故のかたい頭からスルリと抜け出すような爽快な衝撃を受けた。

 「分からなくていいのだ」。その感覚は、私を許し自由にしてくれた。そして「人間というものは未知なるものなのだから『心理学』には終わりがない。それなら一生考え続け学び続けられる」と勝手に理解し納得した。あまりの衝撃で、私には縦50センチ以上の大きさに見えたその本とは、いまだ再会できていない。

 学びの旅を始めるきっかけとなったこの言葉が私を突き動かし、さまざまな体験へ導いた。私は現在、さまざまな役割を担っているが、いずれも人の発達を支援する仕事である。人間を未知なるものと捉える視点は、人の心を分かった気になる傲慢(ごうまん)さを防ぎ、難しい課題であるほど、未知に触れる機会への感謝となる。

 分かっていることよりも分からないことの方が多いのだという実感は次の意欲を生んでいる気がする。いつしか「分からない」のは対象の問題ばかりではなく、受け手の未体験が引き起こしているのではないかという基本的な立ち位置となった。人の発達と心の課題に向き合う領域を選んで四半世紀が経過しようとしている。あの日のみずみずしい感性は形を変え、色を変え、対象とする人々を変えて経験則となった。

 この旅が終わるころ、私はどこまで行けるのだろう。「未知なるもの」への解釈は、20歳の時とどのように変化するのだろうか。楽しみである。この言葉は、今日も人の心と向き合う仕事を支えてくれる私の大切な「座右の銘」である。
(金武育子、沖縄発達支援研究センター代表)