<南風>社会は試されている


社会
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 先月末、北海道旭川市で開催された日本弁護士連合会第64回人権擁護大会・シンポジウムに参加した。

 2日間にわたる大会の全てのプログラムが有意義であったが、個人的に一番印象に残ったのは特別企画の映画「すばらしき世界」の上映だった。人生の大半を刑務所で過ごしてきた元組員の主人公が、殺人犯として服役していた旭川刑務所から出所するシーンで始まるこの映画の映像は、おしなべて地味である。

 刑務所内の様子。出所後の身元引受人である弁護士や近所のスーパーの店長、生活保護のケースワーカー、主人公を題材にした番組制作を当初もくろむ売れないTVディレクターといった人たちとの交流。弁護士として自身の仕事の中で既視感がある設定が多く、幾度も考え込まされたと同時に、主人公や彼と関わる登場人物に自分という人間自身を何度も垣間見た。

 「前科持ち」「元反社」の人に対するバイアス、社会で“うまく”やっていくための処世術、目の前の問題が手に余るときの無力感や、やるせない怒り。同時に、分かり合えないと思われた者同士の心が通い合う瞬間、他者の幸福を手放しで自身の喜びと感じる瞬間も紛れもなく存在すること。人間として試されているのは主人公だけではない、むしろ社会で”問題なく”生活する人たちではないか。せわしなく登場人物たちに身を置き換えながらその思いを深くした。

 リアルで映画を見るのは久しぶりだった。エンディングロールでの拍手、観客席から漏れる声ともつかない息遣い、隣の人が目頭を押さえるシルエット、ああこれが本来あるべき映画の醍醐味(だいごみ)だなと感じた。人権擁護大会の企画としてこの映画を選んだ主催者に感謝するとともに、社会の一構成員であり弁護士である自分に対する自戒の機会と活力をもらった気がした。

(林千賀子、弁護士)