<南風>赤ちゃんとの触れ合い


社会
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 先日、「赤ちゃん」を抱っこする機会があった。人見知りの時期で、泣いたり、むずがったりしていたが、「この人、誰?(信用できるの?)」や、「やっぱり先生(保育士さん)がいい」と、まだおしゃべりをしないのに、実に雄弁だった。くるくる変わる表情が、心と身体全部で「今、ここ」の世界を吸収していることを教えてくれた。

 ご機嫌ではないが、抱っこに徐々になじんできて「ピトー」っと私の胸に頭を預けてくれるようになった。久々に体験して感動した。命を直接慈しむことのできる貴重な体験である。そうして、しばらく抱っこしていると、どっちが抱いているのか分からなくなる。大変幸福な時間だった。

 ぐずぐず泣いていた人見知りピークのその赤ちゃんはお迎えに来た先生にすぐには抱かれず、お別れの「ピトー」をしてくれた。ちょっと仲良くなれば、こちらの表情をしげしげと見つめる。話しかけながらコロナ禍のマスク着用で赤ちゃんたちも大変だ、と思った。

 彼らは、母親(身近な養育者)の表情を手掛かりに、この未知なる世界を生きているのだ。母親が笑顔だとニコニコし、楽しそうにするが、母親が無表情だとおびえてしまう。子どもに関わる方たちには、笑顔とまでは言わないが無表情をやめて優しい気持ちで接してほしい。彼らが返してくれるささやかな愛情を逃さずに受け止める、豊かなやりとりをしてほしい。

 わが子たちの赤ちゃん期を振り返って「抱っこし放題だったのにちゃんと満喫したかしら?」と考えてみた。やはり十分とは言えないのかもしれない。長男を抱くと元気が出た。次男を抱くと落ち着いた。その特性が成人に近づいた息子たちの持ち味になっている。子はいずれ懐に抱いて育てることができなくなる。成長に合わせて今必要なことを与え合えるといい。
(金武育子、沖縄発達支援研究センター代表)