<南風>小梅


社会
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 両親ともに無類の犬好きで、わが家には私が生まれる前から犬がいた。初代が大往生した後、私が中3の時に新たに家族となったのが雌のシーズーの小梅だった。家族としての順番は私が先だったが、犬は鋭い。両親から見て私と自分はほぼ対等の存在と認識し、姉妹のように暮らした。

 小梅がいた頃、わが家は京都府の里山にあったから、座敷犬でありながら自由に出かけ、野山や畑を駆け回っていた。家に戻ると裏口のドアを引っかいて合図し足の裏を拭いてやると喜んで中に入るのが日課だった。近くに住むお年寄りたちにも大人気で、かわいいねえ、お行儀いいねえと褒められては得意そうにしていた。小梅に関係する日常会話はマスターしており言葉をかけることでコミュニケーションが取れた。

 高1の冬、最も得意だった国語で大スランプに陥った。大学受験生にとっては深刻な問題で、焦りと不安ばかりが高じ、つい居間の平机に突っ伏して泣いてしまった。すると通りかかった小梅が小走りにやって来て、私の頬の涙を必死になめ始めた。ブンブン尾を振りながら笑顔で(犬は笑顔になるのである)。

 大丈夫、やめてと小梅と抱き合っているうち涙は止まり、何かが吹っ切れた。そのせいか定かではないが、やがてスランプから抜け出しまい進できるようになった。小梅は他の時も本気で落ち込んでいると、いつの間に近寄りふざけるように顔をなめてくれた。

 小梅は事故で7歳で逝ってしまった。私は小梅の日常を本気でうらやましく思うような子どもじみた人間だったが、彼女が毎日全力で生きて全力で私たち家族を愛してくれたことくらいは分かっていた。そして掛け値なしに私の幸せをいつも願ってくれた小梅は、人間である私より“犬格者”だったのではないか、などと今でも考えてしまう。

(林千賀子、弁護士)