<南風>時間の速さ


社会
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 年に1度の人間ドックの待合室、あっという間に1年が過ぎてしまった。中年期を迎え、最も戸惑うのは、過ぎゆく時間に、なすすべのないことだ。最近では毎日が金曜日のように感じる。指の間から時間が流れ落ちてゆくようだ。

 身体的なさまざまな老化を受け入れていく時期でもあり、体力の低下に私自身が一番驚いている。そればかりか感じ方の変化にも驚きの日々である。

 あんなに長く持て余していた一日が、気づけば終わっているようになり、長い夏休みも一瞬になった。確かに丁寧に日々を積み重ねてきたとは言いがたいが、子育てを始めたころで内的時間が止まり、時間の経過についていけず、時の流れの速さに取り残されている。

 それがいつかは分からないが、必ず終わりが来る人生を、この先どう生きるのか、霜月のころ、思いふけっている。

 私の96歳になる伯母は、矍鑠(かくしゃく)として温かく、芯の通った沖縄の女性の強さを教えてくれる。

 その伯母が、歳を重ねる覚悟はしてきただろうし、受け入れても来たのだろうが、「自分でも(自分の変化が)信じられない。歳をとるってこういうことなんだなあ、と思っている。この歳になってみないと分からなかった」と話してくれた。

 今が一番若いのだから、目の前の今を懸命に生きて、どこかにたどり着けるのかも知れない。伯母には、まだまだ教わりたいことがたくさんある。

 中年になって知る寂しさは、暮れていく人生が見えること。その楽しみは、次の段階が必ずあることを知って日々を過ごせること。人生の境地にたどり着く時、どんな気分なのか、楽しみにしていようと思う。先延ばしにすることをやめることから始めよう。
(金武育子、沖縄発達支援研究センター代表)