<南風>琉舞


社会
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 生年祝いが家で多く行われていた昭和時代、4世代が住むわが家でも仏壇のある畳間からゴザを庭につなぎ、親類が集まり、にぎやかな祝いの席が設けられた。そんな時、決まって私たち子どもが催しを披露し大人は三線を弾いて陽気に歌い踊った。字区の合同祝いでも琉舞を披露したため、1、2曲踊れるようになった。父が古典音楽を習っていたので月明かりの下、三線の音が鳴り響くわが家はいつも沖縄の文化に触れていた気がする。

 50歳の手習いとして、仕事以外で自分が楽しめることや打ち込めることを探している時、小さい頃一緒に踊っていた年の近い叔母から琉舞道場に誘われ見学に行った。その際、琉球古典音楽の心地よさと早く踊りたくてワクワクした気持ちになったことや、先生が話してくれた内容に仕事も琉舞も同じなのかもしれないと心動かされたことが習う決め手となった。

 7、8曲ほど踊りを覚えたころ、コロナ禍になり練習日が激減したが、会社のことが気になって気持ちが遠のき2年が過ぎた。気が滅入っている私に世界のウチナーンチュ大会の一環で行われる隣町の地域歓迎の夕べで踊ってみないかと声が掛かった。

 本番まで2カ月、練習日が異なるメンバー11人で「四つ竹」を踊る。先生から「やると決めたら徹底してください。上手下手は関係ない! 皆で合わせることが重要! やるからにはきれいだったといわれたいでしょ」と喝が入った。おかげで無事に皆で踊ることができたと思う。私自身反省すべき点もあるがメンバー一人一人の思いやりと協力があってこその達成感を味わわせてもらった。

 琉舞も仕事もチーム一丸となれば達成感という喜びが返ってくる。会社でも自分の役割を果たしながら、社員と協働し理念に向かい一歩一歩進んでいきたい。
(澤岻千秋、御菓子御殿専務取締役)