<南風>お菓子


社会
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 小さい頃のおやつは、おばあが作ってくれるサーターアンダギーや三月菓子、ウムクジテンプラなどだったが、母の父親代わりだった叔父が数カ月に1度、輸入チューイングガムやウェハースなどのお菓子をカートンごと手土産に那覇からバスに乗って会いに来てくれていた。私はその手土産のお菓子が渡されるまで両膝をつき、前のめりで大叔父さんに笑顔で話しかけていた、甘いお菓子が大好きだった幼い頃を思い出す。

 一緒に住んでいた叔母からおいしいドーナツを買ってきたよと言われ、食べてみるとサーターアンダギーとは違うおいしさに感動した。高校生になるとアップルパイをほお張り、友達とワイワイすることも楽しみだった。お菓子の思い出を考えてみると楽しさしかなかったと思う。

 会社説明のため創業からの思いをつづっている時に記憶がよみがえった。叔母が買ってきたドーナツもいつも友達と食べていたアップルパイも御菓子御殿の前身であるポルシェ洋菓子店のお菓子だったのだ。身近なお菓子だったことやつながりに感動を覚えた。

 1986年、一村一品運動の一環として商工会より紅芋でお菓子を作ってほしいと依頼され試行錯誤して作った「紅いもタルト」は地元のお菓子として販売していた。栄養価が高く地元の食材で作られた商品であることや沖縄ブームに乗ったことで観光客が買いに来てくれたことがきっかけとなり2001年、見える工場「御菓子御殿恩納店」ができた。沖縄の飢餓を救ったと言われる紅芋に出合い、作り続けた創業者の努力と信念だったのだろう。

 沖縄の文化である食材で作られた「紅いもタルト」のストーリー性ある思いを心に刻み、そのオリジナルな伝統菓子として後世に引き継ぐことが私たちの役目だと志を強く持って地域と共に歩んで行こうと思う。
(澤岻千秋、御菓子御殿専務取締役)