<南風>生きる力


社会
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 年の瀬である。今年もさまざまなことを体験した。時間に追われ、時空の感覚が研ぎ澄まされる一方で、鈍くなり、気が付くといつも金曜日だった気がする。

 変化したとしたら、そんな日々をいとしく思える未来を想像できるようになったことだろうか。長い人生の中で、今はまだ走る季節なのかもしれない。それならば、いずれいとしむ日が来るまで精いっぱい走ろう。幸いたどり着きたい場所の輪郭も見えてきた。年齢と経験、そして体力の限界のおかげでともいえる。

 最近、早くゴールしたい、という思いから、道すがら見えるさまざまなことの美しさへと関心が移ってきた。それはスピードを緩めることを受け入れ、たどり着けないことを許す、ということではなく、人生の最盛期の生産性とスピードはゆっくり失われていくが、あの頃より上手に歩むすべが身に付いた、という自己肯定感によるものだ。

 階段が嫌いで、早く終わらせようと駆け上ってきたが、目的地が4階以上の時は他の手段を許すようになった。少しゆとりを持つと、ゆとりのある世代の人々と出会う機会が増えた。

 中年期を迎えた私ですら何かと褒めてもらえる先輩たち。ささやかなことでも見ているよ、と私も社会の一員なのだと教えてくれる。何といっても、やりとりのさじ加減が絶妙なのである。私の次の目標はこれを身に付けることである。

 「自分」から「パートナー」へ、「子世代」から「老親」へ、と関係性は移ろい、いずれ血のつながりを超え、わが種族、人類へと広がっていく人の輪の中に「私もいる」という感覚を持ちたいし、若い世代の人たちにも体感してほしい。それこそが生きる力の基礎となる。

 今年の新しい体験の一つが「南風」への投稿であった。私にとって「生きる力」を改めて考える貴重な体験であった。感謝している。
(金武育子、沖縄発達支援研究センター代表)