<南風>性はグラデーション


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 世界は多様性にあふれている。1人の頭の中でさえ、複数の違う考えがある。新しい出会いや経験により、思考もアップデートしていく。とても素晴らしいことだ。私らは自分の知る範囲で物事を想像し、理解し話す。

 私は女性らしくいたい時期があった。今は違うとはっきり言える。31年間の中で、性に対しさまざまな気持ちと葛藤があった。小学生の頃は男の子っぽい服装を選び、スケボーや男の子と遊ぶことが多かった。中学・高校生になると制服のスカートを強制された(現在は制服選択制度を取り入れるところが増えた)。

 思春期で男子と遊ぶこともなくなり、いつしか彼氏ができ、女性としての「性の表現」を好んでいたが、女性でありながら、女性らしくいる自分に何か引ける気持ちもあったのだ。男っぽい私だから、からかわれるだろうと女性らしくすることに抵抗もあった。

 性にさまよいまくった私は今、中性でいる自分にしっくりくる。「そう!これだ!」男らしく、女らしくではなく、“私らしく”いればいいのだ。私は世間の常識にしっくりこない日々を何十年も過ごし続けた。今では胸を切除したい気持ちも少しある。だが男になりたいとは思っていない。

 性の多様性を発信することが多い私は、おかげで自身の性と向き合い自分らしくいられる環境を見つけることができた。身近にいる仲間に感謝している。

 四つに分類できる性のあり方は、マイノリティーの方に当てはめるものではない。全ての方に関わるものだ。生物学的な性と「心」の性。「表現」の性。誰を好きになるかという「性的指向」の四つの性だ。さまざまな組み合わせを持つ方々と出会いを重ね、悩みが解け、生きやすくなっている。まだまだ悩んでいる人は多い。早く皆が素の自分を出せる環境がほしい。
(比嘉利加、フリーランス)