<南風>ありのままの沖縄を


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 最新作「人魚に会える日。」には、僕が生まれて18年間見てきた沖縄の姿が存分に含まれている。青い海や青い空だけではない、目を覆いたくなるような問題だって、真っ直ぐに作品の中に込めた。だから基地だって、沖縄の姿を表現するには必要不可欠だった。

 「どうして基地問題なんかに触れてしまったんだろう」と、作品完成後に思ったことがある。基地というだけで一歩下がる大人がいたり、見てもいないのに批判する人がいたり、基地問題を描いたことで難しいことが多い。もっと単純に、基地に触れない「楽しい沖縄映画」を作っていれば良かったのだろうか。そんなことを思った。
 しかし、難しいことが増える、面倒な問題が起こる、という理由で、基地を描くことをしないのは、ただ逃げているだけではないのだろうか。映画監督としてではなく、沖縄に生まれた者として、そして関東で暮らす者として、ありのままの沖縄を発信しなければいけないのではないだろうか。そう考え、やはり今回の作品を作ったことは間違いではなかったのだと自分の中で決心がついた。「誰かが伝えてくれる」では、もう届かないのだ。
 自由を叫ぶことが平和だとは思っていない。敵と味方を分けて、敵を攻撃することが正義だとは思っていない。いつの間にか「平和の島」と言われた沖縄は、平和の意味さえわからない、いつも誰かと闘っている島になってしまった。
 語りたくないことを語らずに表現できるのが、映画の魅力だと思う。政治的な主張なんかじゃない。普段の日常における悩みや疑問をそのまま伝えたいのだ。
 批判されても、難しいことがさらに増えたとしても、堂々と作品を届けていきたい。そして、この作品が沖縄の未来を少しでも明るくする一歩になれば幸いだ。
(仲村颯悟、映画監督)