<南風>叱るか褒めるか


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 最近は、叱るより、褒めて伸ばすのが子育ての主流になっているようだ。書店に立ち寄り、教育関連の本棚をのぞいても、そんな方法を勧める書籍が目立つ。

 こういった子育て論の煽(あお)りを受けてか、少年院に収容されるのは、叱るばかりの誤った教育を受けてきた子どもたちだと主張する外部の方が、ちらほら見られるようになった。本当に、そうなのだろうか?
 子どもたちと対話し、生育歴を確認すると、見えてくるものがある。確かに、叱られっぱなしの幼少期を送った者は存在する。しかし、非行を繰り返していたにもかかわらず、長所ばかりを褒められて育った者も多く存在する。やはり、褒めてさえおけばよいというものではないのだ。
 保護者と面談すると、叱るか褒めるか、どちらがよいのかという質問を頻繁に受ける。ただ、僕に関しては、どちらもあまりしないため、両方ともお勧めできないと答えている。
 今思えば、少年院に赴任した頃の僕は、よく叱り、よく褒める法務教官だった。それが、子どもに対する思いやりだと信じていたからだ。そのことに疑問を持ったのは、僕になついていたある子どもが「叱ったり褒めたりしてくれるのは、武藤先生だけ」と愚痴っているのを耳にしたからだ。彼が社会に帰ったとき、真剣に叱り、褒めてくれる大人が周囲に存在するとは限らない。僕は彼を、「叱られ、褒められなければ動けない人間にしてしまったのでは」と煩悶(はんもん)した。
 現在は、叱ったり褒めたりする代わりに、自分の感情を伝えることを大切にしている。信頼関係を築いた上で「嬉(うれ)しい」「悲しい」といった思いを細やかに伝え、相手が感じ、考え、自ら動くのを待つのだ。
 時間がかかり過ぎる? 当然だ。子どもたちは、大人の都合で動かしてよいロボットではないのだから。
(武藤杜夫、法務省沖縄少年院法務教官)