<南風>あの日助けた人間です


社会
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 立派な角を持ったヤギが大きなコンクリートブロックの囲いの外側に降りてしまったようで動けずにいた。両足で立ってはいるものの、ロープがブロックの隙間に挟まっていた。ブロックの外側に踏み台になるものが何もなく、元居た場所へ戻れなくなっていた。

 ゆっくり近づくとうれしそうに手をなめるヤギ。かわいさを感じながらも目の前の大きな角の動きを意識しながら、ブロックの隙間に挟まったロープを外す。次に一番ロープがゆるみ、かつ地面も高さがありブロック塀を超えやすそうな所まで横移動してもらう。ヤギが前足をブロック塀にかけたため、早くも成功かと思いきや断念。すると悔しさの矛先が大きな角とともにこちらへ向けられた。

 瞬時にブロック塀に背をつけ、ぐっと押される角アタックを太ももで受け止めるという判断をしたあの時の自分には感謝している。さもなければ後ろに飛ばされるなりして、ヤギのふんでドロドロの赤土の上に尻もちをついてお気に入りのズボンとおさらばしていたかもしれない。

 数分間の角アタックを脱した後は、周りにあるブロックなどをかき集めて足場を作り、ロープを引っ張るなどしながらその足場に誘導。数十分格闘の末、無事お手製の足場を使ってブロックの内側に戻ることができた。1時間弱の試合を駆け抜けたような達成感で、私はそのヤギに戦友のまなざしを向けていたと思う。きっと彼が最後こちらをずっと見つめてきたのも何か同じことを考えていたのだろう。そうあってほしい。

 その前はくちばしが空き缶から抜けなくなったカラスの救出劇もあった。「どうもあの日助けていただいた○○です」。そう言ってそろそろ恩返しに来てくれてもいいのではないかと思うほど、生き物を助けるシーンが他の人より少し多めの人生を、私は生きている。

(岩倉千花、empty共同代表)