<南風>人を育てる


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 W杯決勝戦は、歴史に残る感動的な名勝負となったが、その笛を吹いたレフリーへのインタビュー記事にも胸が熱くなった。「ノーサイドの瞬間、私に一番に歩み寄り『ありがとう。素晴らしい試合でした』と言ってハグしてくれたのは、負けた方のオーストラリアの選手だった。負けた直後にこんな行為ができるなんて。彼の人格を表しているよ。ラグビーとは何と素晴らしいのかと思った」と語っている。ラグビーの教育力を物語るすてきなエピソードではないだろうか。

 さて、私にはラグビーほどの教育力はないので、2人の子育てをする際に指針にしている言葉がある。それは、映画監督の黒澤明氏の「この世に生まれ落ちた時、人間は皆天才なんだ。それをこねくり回して、駄目にするのは大人の仕業。親の尺度を押し付けたら、それ以上にはなれない」というもの。「育てる」という大義名分の下、大輪の花を咲かす可能性の芽を摘まないよう常に意識している言葉だ。ついつい「育てなければ」と気負い、干渉し過ぎる自分を戒めている。良かれと思ってやっているつもりが、子どもにとってはマイナスだった、という事もあるのだ。
 親の役割は、生まれ持った才能が開花するよう「ありのままを認め伸ばす事」であって、決して「親の考えるように育てる事」ではないと思う。だから、子どもの可能性を限定せず、幅広い分野に挑戦する機会を与え、何に興味を持っても否定しないようにしている。
 農薬を使わない「奇跡のリンゴ」で有名な木村秋則氏は、栽培成功の秘訣(ひけつ)について「育てない、手助けするだけ」と言った。リンゴが本来持っている力を引き出そうとするアプローチは、黒澤監督の言葉にも通じる。両者に共通する「潜在能力を引き出す」という視点こそ、人を育てる極意ではないだろうか。
(安村光滋、県ラグビーフットボール協会理事長)