<南風>親と里親がつくる未来


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 障がいを抱える子供たちの姿や、家族の心の格闘などを伝えてきたが、最終回は、里親の立場で書いてみたいと思う。

 里親制度を、ご存じだろうか。親の病気、離婚、そのほかいろいろな事情により家庭で暮らせない子供たちを、自分の家庭に迎え入れて養育する制度である。私も里親の一人である。
 里親になりたての頃は、受け入れた児童を理解することに懸命で、周りの方々の言葉すら耳に入らなかった。しかし、少しずつ生活リズムが整い、子供との関係にも形が見え始めた頃、地域や学校などの居場所づくりに「母親」として積極的に参加した。子供たちが戸惑わないように、転ばないようにと願い、さまざまな方々と知り合う機会を多く持った。しかし、出会う人たちに「名字が違う。去年は何組さんだった」などと問われると、「里親」「里子」と説明を加えなければならなかった。そしてその度に「えらいね。すごいね。本当にいるんだね。大変ね」などと言われることが気になり出し、違和感を覚えるようになった。
 次第に違和感は大きくなり、人前に出ることすらできなくなっていた。私へのねぎらいの言葉にも、「こんな言葉をもらうほどの自分ではない。褒められるべきは子供たちなのに」と悩んだ。一方では、小さな心で受け止めなければいけない現実の厳しさや、その不安、怖さの中で、懸命に頑張っている子供の姿に心が痛む、という日々がしばらく続いた。やがて自分を見つめ直す中で、自分に対する怒りがあることを知った。「里親」への知識不足や、いい親になろうと背伸びをして自分自身を追いつめていたことに気が付いたのだ。
 親も里親も、子供たちの幸せを願うからこそ悩む。里親制度を生かしながら、子供たちの夢を育み、その未来がこの青空のように広がることを願う。
(名幸啓子、障害児サポートハウスohana代表理事)