<南風>選ばれざりしものの業


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 映画化もされた『武士の家計簿-加賀藩御算用者の幕末維新』で衆目を集めた日本近代史家の磯田道史氏が、過去「朝日新聞」で、「なぜ猫年はないのか」というエッセーを書いている。

 〈「昔、十二支を決める動物集会が開かれた。その時、猫は鼠にうその日程を教えられたため、集会に参加できず、十二支に入れなかった。以後、猫は鼠を追うようになった」。
 でも、これは非科学的だ。真実の理由は猫の家畜化が遅かったから。干支の始まりは古代中国。2300年前にはもうあった。干支や十二支ができた時点で中国には猫を飼う習慣はなく、猫は十二支に採用されなかったのではないか。〉
 そこから氏は平岩由伎子著『猫になった山猫』を引き合いに猫が干支に入るのを邪魔したのは鼠(ねずみ)ではなく、古代エジプト人だと自説を述べる。また、タイ・ベトナム・チベットでは猫が兎(うさぎ)の代わりに十二支に入っているのは、猫の家畜化が干支(えと)の普及より早かったためだろうと結んでいる。
 この伝承の源流は、民俗学者の小島瓔禮(よしゆき)著『猫の王』にも詳述されている。「猫の魔性の謎をさぐる知的冒険の旅」と惹句(じゃっく)のあるこの本は、さまざまな興趣にあふれている。例えば、猫が窓のところで化粧をすると、待ち人が来るという俗信が、招き猫の信仰に通じたとか、「狸(たぬき)」の字は、もともと猫をあらわす-云々(うんぬん)。
 立川談志は「落語は人間の肯定だ」と喝破したが、生きとし生きるものたちにもきっとその業があるに違いない。
 落語『猫の皿』は、骨董(こっとう)屋と茶店の主人が絵高麗(こうらい)梅鉢をめぐる虚実皮膜の業が妙味であり、人情噺(ばなし)『猫の恩返し』に出てくる「駒」はバクチで空穴(からっけつ)の飼い主、金さんに三両の小判を工面するために元旦に落命する。
 筆者は割り当て12話を干支順に映画、落語、料理にまつわるネタを開陳したい。
(又吉正直、日本獣医師会学術・教育・研究委員会委員)