<南風>20年目の大学から


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 私的なことから申し上げて恐縮なのだが、新聞のコラムを担当させていただくのは、1996年の下半期に琉球新報の「落ち穂」に書かせていただいて以来のことである。

 あれからもう20年が経(た)とうとしている。ということは、私が琉大に採用されてから20年が経つということである。時の経つのはほんとうに早い。
 「落ち穂」を書かせていただいていた頃、私はアメリカの大学院から琉大法文学部のアメリカ文学分野の講師に着任したばかりだった。本場で学んだアメリカ文学の知識を、母校でもある琉大の後輩たちにすべて伝えようと意気込んでいた時期でもあった。だから、「落ち穂」の文章もかなり鼻息の荒いものだったように記憶している。
 そんな拙(つたな)い文章が載るたびに感想をおっしゃってくださっていた恩師の米須興文先生も昨年の暮れに他界された。学問の世界のひとつの時代が終わったような、大きな喪失感を覚えている。
 大学や学問の世界でも時代はめぐっている。20年の間に、私はアメリカ文学の教授という立場になり、さらに昨年からは、大学の「ジェンダー協働推進室」という部署のまとめ役を担っている。「ジェンダー」とは、社会における性役割のことだが、大学のジェンダー協働推進室は、大学にいる男性、女性、性的マイノリティーの人々が個々の能力を十分に発揮できるよう支援したり、教育や研究の環境を改善する取り組みを行ったりするために設置された部署である。
 研究室から見える大学の景色もこの20年でずいぶん変化した。人文学系分野の存続さえ危ぶまれている昨今、この国の大学は穏やかではない。そんな時代の大学や学問のありようなどを、琉大という現場にいる一教員の目線でお伝えできればと思う。
(喜納育江、琉球大学ジェンダー協働推進室長)