<南風>漢方との出会い


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 先日、老化に伴う脚力の衰えを確認すべく嘉津宇岳に登った。頂上からは四方が見渡せ登山口の駐車場が眼下に見える。年をとると若気の至りの未熟さがよく見えるように、医学でも経験を積むと若いころを顧みる余裕がでてきた。この機会に自分の漢方の歩みの全体を眺めてみるのも悪くないと、「南風」執筆をお引き受けすることにした。

 私は1969(昭和44)年、国費自費留学制度により広島大学に入学した。大学紛争のピークは過ぎたものの、ストライキでバリケード封鎖の真っただ中であった。くれぐれも学生運動には近づかないようにと育英会から注意を受けたにもかかわらず、学長団交に参加するうち、祖国復帰のデモに参加して逮捕された。その時周囲に振り回され、主体的な生き方への情熱の乏しい自分では今後が思いやられると反省し、バックボーンを強化すべく自分探しを始めた。西洋思想にヒントを求めたが、エーリッヒ・フロムから東洋の禅に創造的な生き方のヒントがあると教えられ、禅寺に通うようになり、人生の足掛かりが得られたと思えた。
 東洋の叡智(えいち)に触れたことから東洋医学の鍼灸(しんきゅう)や漢方に目を向けた。そんな時、友人が台風で垂れ下がった電線でむち打ちになった。彼はやっと出会った医師の漢方薬や針灸治療などを受けて良くなってきたと言う。そこで漢方医と思われた彼の担当医に紹介してもらった。先生は「医学の基本は西洋医学であるから、西洋医学をみっちり勉強して漢方を始めても遅くはない」と言われた。また「教科書や文献で学ぶ治療で治せない病気はいくらでもある。そんな病気の治療法は真心が教えてくれるよ」と言われた。元広島市民病院外科部長で、自由な発想で治療をするには開業するしかないと、外科医院を開業しておられた。いずれ再び門をたたくつもりで沖縄に戻った。
(仲原靖夫、仲原漢方クリニック院長)