<南風>大学のダイバーシティー


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 「ダイバーシティー」とは、英語で「多様性」という意味である。この頃は、学校や職場などの「人材の多様性」の意味で使われる。アメリカ研究者にはそれほど目新しい言葉ではないが、一般的にはイマイチ浸透していない。私の職場の琉大でも、ダイバーシティーという言葉を聞いて、水泳の新種目かと思った職員がいたようだ。「ダイビング」と音が似ているからか。

 面白い。いや、ウケている場合ではない。ダイバーシティーは、私たちの社会が、他者の人権や個性を尊重できる社会かどうか、つまり、成熟した市民社会かどうかを測る指標なのだ。
 その証拠にダイバーシティーは、最近は大学に対する評価にも影響を及ぼしている。文科省は、女性、外国人、障がい者を積極的に採用するよう、全国の大学に強く求めている。今年4月から国公立大学などでは、障がいを理由とした差別をなくし、障がい者への合理的配慮を提供することが法的義務となる。つまり大学は、多様な人々がそれぞれの能力を発揮できる環境になっているか、制度的に対応できているかを評価される時代になった。
 アメリカの硬貨には、「多数から一つへE Pluribus Unum」というラテン語が刻まれている。多様な人種や文化や信条をもつ人々がひとつの国をなすアメリカで人間関係を平和に保つためには、「人それぞれ」とか「他者の人格を傷つけない」のが基本だ。しかし現実には、いまだに人種や性や宗教などが原因の差別があり、闘いは続いている。言うは易(やす)く行うは難しである。
 では、私たちの社会はどうだろう。ダイバーシティーの考え方は根づくだろうか。そんな心配をよそに、周囲の大学生の多くは、異なる他者に対して、至って自然体だ。そんな人間性を何より大切なものとして育める社会づくりに大学も貢献できたら、と願う。
(喜納育江、琉球大学ジェンダー協働推進室長)