<南風>祝・壺屋小創立70周年


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 まったくの那覇ローカルかつ個人的な話題で恐縮ですが、私が生まれ育ったのは、国際通りからすぐの壺屋小学校と、農連市場の隣の神原中学校と、県庁(当時は琉球政府)に近い那覇高校の三点を結ぶ三角形の真ん中あたりで、そこからその三つの学校に通いました。それで、いまも自己紹介では「沖縄のシティーボーイ」と言っています。

 壺屋小学校に通うには、現在、坂下に壺屋焼物博物館がある「天ぷら坂」を上って、当時まだあった壺屋焼の窯の脇を通るコースが最短でしたが、雨天だと靴が汚れるので、舗装されていた桜坂を上り、朝までビールの匂いの残る歓楽街を通るコースを選びました。帰りは、もう一つ選択肢が増えて、国際通りを本土からの観光客や米兵に交じって歩き、平和通りから戻るコースがありました。
 いまでも帰省すると、それらのコースを確認しながら散歩するのが楽しみですが、天ぷら坂も舗装され、坂下からひめゆり通りに抜ける道が「やちむん通り」と呼ばれて有名になり、観光客で賑(にぎ)わっているのは隔世の感があります。
 インターネットで天ぷら坂を検索すると、戦争中、大空襲の前日にそこに大きな地下壕が完成し、そのおかげで多くの住民が救われたとの記述があります。当時はそういうことは何も知らず、いまでも大好きな沖縄天ぷらの匂いに食欲をそそられながら呑気(のんき)に歩いていました。
 これからも続く私の学びの原点であるその壺屋小学校が、今月末にめでたく創立70周年を迎えます。20周年のときに児童会長として記念式典に参加してからちょうど半世紀になります。それで今回は、このタイミングでコラムを担当させていただいていることに甘えて、個人的な思い出話を書かせていただきました。お祝いに免じてご寛容いただければ幸いです。
(南風原朝和、東京大学理事・副学長)