<南風>表現による自己救済


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 私には、3人の娘がいる。娘が生まれる前までは、子供が欲しいとか、好きとか考えたこともないぐらい、子供という存在に対して無関心だった。実父と仲良くした思い出がなく、父親として子供とどう接していいか根本的なところでわからなかった。しかし子供が生まれたことによって、自分の中の劣等感やコンプレックスが親子関係に原因があるのではないか、子供の自己肯定感を育てるためには、全てを受け入れる親の愛情が重要なのではと考えるようになった。

 ここから話すアートの内容は、とても狭義的だと前置きしておきたい。大学時代、現代アートが好きで、作品も創っていた。何がそう夢中にさせたのか。今思えばそれは、自己表現を追求することと、アートの前提として何をしても許してくれる自由度にあったと思う。私らしい作品を追求することは、私自身を見つめる作業そのもので、そこから生まれたものがどんなものだろうと受け入れてくれる。劣等感とコンプレックスだらけの自分をも受け入れてくれる、それはまるで親の愛のようだった。
 作品を創った結果、幼少期に父親との関係で自己肯定感を構築できずにいた私を回復させてくれていた。当時は、表現の追求に一生懸命で意識化できなかったが、今となっては美術に救われたと実感している。
 私が現在美術講師をしている珊瑚舎スコーレは、生徒と教師が同じ立場で学びの場をつくっている学校である。ここにはさまざまな生徒がいて自分と似た境遇の生徒もいた。ある生徒は、自分を描くことによって自分を見つめ直すきっかけにしていた。そういう生徒を見ていると自分の経験したことをその生徒たちにも伝えたいと感じる。
 私自身、教師に向いているかどうかは疑問だが、教師を続けている理由はこういうところにあると思う。
(玉城真 うえのいだ主宰、珊瑚舎スコーレ美術講師)