琉球新報社 商売柄、干支（えと）の動物は神獣である龍を除いて病理解剖や採血、はたまたペットにした経験があるが、トラだけは縁がなかった。
しかし、それは図らずも実現することになった。
ある２月の昼下がり、わたしは久茂地の蕎麦（そば）屋・美濃作のカウンターで会津若松の銘酒「名倉山」を飲（や）りながら、海老（えび）天を頬張りつつ嵐山光三郎の『文人暴食』を読んでいた。
しばらくすると、関西弁の巨躯（きょく）の男が隣端に座った。舎弟とおぼしき連れは小上がりに鎮座する。どすの利いたしわがれ声が睥睨（へいげい）するかのように店内に鈍く響いた。
どうやら、男らは久米島からの帰りで、彼の地で自（おのれ）の組織（くみ）の後釜にふさわしい逸材に遭遇したようで、やけに満足気であった。
わたしは、因縁を避けるかのように顔を背け、読みかけの本に集中した。３７人の文人の食癖の一編、「南方熊楠（みなかたくまぐす） 山奥の怪人はなにを食うか」によると、紀伊生まれの生物学者、民俗学者は超博覧強記の柔術家であったらしい。十数カ国語を操り、大英博物館を根城にインディ・ジョーンズ顔負けの武勇伝も枚挙にいとまがない。飲み出すとビールは１ダースをあけ、アンパンにも目がなかった。
しばし、この無位無冠の奇食家の描写に嘆息しておそるおそる隣をのぞくと、そこには紛う方なきあの江夏豊氏の勇姿があった。大の読書家でもある氏は、新人のマー君こと楽天イーグルスの田中将大投手の春季キャンプ偵察が目的であった。
熊楠の名著『十二支考』には「インドの虎は専ら牛鹿野猪孔雀（いのししくじゃく）を食いまた蛙（かえる）や他の小猛獣をも食い往々（まま）に人を啖（く）う」とある。阪神タイガース時代、オールスター戦で９者連続奪三振の怪記録を持つ昭和の猛虎は、左腕でなめこそば３枚を仕留め、やおら立ち上がって颯爽（さっそう）と藪（やぶ）へ消えた。
（又吉正直、日本獣医師会学術・教育・研究委員会委員）
