<南風>想像力で寄り添える


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 ジェンダー協働推進室の前身である「男女共同参画委員会」が発足したばかりの頃、委員はすべて女性教員だった。女性の専任教員の割合は大学全体で15%にも満たないので、各部局(学部など)から一人の代表委員は大勢いる男性の中から出せたはずなのに、女性教員が約100人中たった一人しかいない学部さえ女性を出してきた。「出産・育児・介護と仕事との両立支援を検討する委員会なら、当事者である女性が委員をすべきでしょ」というのが当時の考え方だった。

 その委員会でのこと。育児中や介護中の教員がどのぐらいいて、どんな支援のニーズがあるかを調査することになった。ところが、いざアンケートの質問項目を作ろうとするも、子どもの発達過程や子育てについて、具体的なイメージが浮かばない。それもそのはず、その場にいた女性委員の誰一人として、「産んだ」経験がなかったのだ。
 困った。皆が絶句したその時、その様子を見守っていた事務職員がすっと手を挙げて言った。「大丈夫です。私、産んだことあります」。一同から安堵(あんど)の声。救世主には後光が差していた。
 研究者には「おひとりさま」の女性も多い。ちょっと前に「就活より婚活かな」というCMがあったが、私なら婚活より断然「終活」だ。そんな私が何の因果か、経験もない育児について知らなくてはならない立場になっている。
 男女共同参画推進の仕事から学んだことは、独身者にも既婚者にも、子どもがいる人にもいない人にも一様に苦労があるということだ。出産、育児、介護の悩み、組織を統括する重責など、経験したこともない誰かの苦労を想像することで、人は経験がなくても当事者に寄り添えるようになる。他者の苦労を想像するのは簡単ではないが、想像力の限界に挑んで得られる気づきほど尊いものはない。
(喜納育江、琉球大学ジェンダー協働推進室長)