<南風>語彙を増やす楽しさと悩み


社会
<南風>語彙を増やす楽しさと悩み 小橋川響、ラジオ沖縄アナウンサー
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 アナウンサーでありながら、私はあまりミーハーではない。職業柄、世の中のはやり廃りへのアンテナは立てているのだが、はやっている曲やアーティスト、お店などの情報は得ていても、それを楽しむということがほぼない。新しいものを楽しむというのは感性を若く保つ秘訣(ひけつ)だと思うが、これも性格なので仕方がないと諦めがちである。

 そんな私ではあるが、初めて出合う言葉には興味を持つ。知らない単語や漢字に出合うと意味や読み方、活用の仕方を調べて使いたがるという癖がある。

 例えば小説を読んでいて「吝嗇」という言葉が出てくるとまずは読み方を調べる。「りんしょく」だと分かると意味を調べる。「度を越して金品を惜しむこと。けち」と知ると使い方を調べる。他者に使うとかなりネガティブな意味合いになるので「私は吝嗇家ではない」のように自分自身に使う方がよさそうだ、という具合だ。ここまでインプットが済んだら次はアウトプット。この言葉を使う機会があれば逃さない。

 不思議なもので、最初は慣れない感じがして違和感があるのだが、使ううちに言葉がなじんでくる。学生服を初めて着た時のような服に着られている状態が、着続けているうちに自然なものになっていくように新たな言葉も使い続ければそれが自然になるのだ。

 語彙(ごい)を増やせば服を増やすような状況にあった適切なものを選べる。またそれまでよりも詳しく状況を理解し、伝えることができる。言葉は服と違って場所を取らないし傷みもしない便利な道具だ。職業柄、使える言葉を増やす努力は必須だろう。

 とはいえ、放送でリスナーに耳なじみのない言葉を口にして困惑させてもいけない。どれだけ語彙を増やし使いたいと思っても、使い時に悩むという矛盾も常に抱えているのだが。

(小橋川響、ラジオ沖縄アナウンサー)