<南風>応援してくれる人


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 陸上を始めた頃、1人で練習していると声をかけてくるおじさんがいた。その風貌と気さくな人柄にフレンドリーな仲になった。「陸上始めたばっかりだけど頑張る」と熱く語った。後にその方が沖縄陸上競技協会会長の津嘉山恵福さんと知って仰天した。

 国体で県代表が一般男子100メートルで決勝進出した人はいない。「よし、俺が第1号になろう」。それが夢にもなった。しかし大学2年、初の国体で準決勝進出するが、翌年も、その翌年の大学4年でも決勝に届かなかった。陸上を続けるか迷ったが、ライバルであり友人の山城満選手が自身の内定先の印刷会社に紹介してくれ、就職させてもらった。
 しかし社会人1年目は肉離れや約2カ月間の出張などで、しっかり練習できず苦しい時期。国体選手選考会では優勝するも「記録が悪い」と選考漏れ。そこで助けてくれた人がいた。あの津嘉山会長だ。「彼は実績があるから何とか連れて行ってくれないか」と後押し。結局、プラスワンで国体に出場させてもらった。期待されていない分、プレッシャーは相当あった。同時に絶対に見返してやろうという強いエネルギーにもなった。
 そして本番の1993年東四国国体。予選で沖縄県記録樹立、準決勝でも最高の走りで決勝進出、5位入賞。県勢初の決勝進出の夢も果たせた。そのゴール付近で観戦していた県出身の仲田雅彦さんが、後にスポーツに関連した専門学校を設立する。まさにそのレースがきっかけで同校へ就職することになった。
 夢に向け全力で正直に打ち込むと、応援してくれる人に出会う。それがまた人生が大きく開けるきっかけになる。亡くなった津嘉山会長が住んでいた南風原町の自宅付近を車で通る時、今でも手を合わせている。「おかげでまだ陸上やってますよ。ありがとうございます」と。
(譜久里武、アスリート工房代表)