<南風>竹村和子さんのこと


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 「ロールモデル」とは、模範として尊敬する人物のこと。日本人女性研究者の中で私が最も尊敬するその人との出会いは、約8年前、米国での長期研修中に遡(さかのぼ)る。ある研究会で米国人の友人に紹介されたその人は、ラフなパンツ姿に短髪、自転車用のヘルメットを小脇に抱えて現れた。50代と思(おぼ)しきその人を、まさか日本人とは思わず、私は「日本語話せますか」と英語で聞いた。「イエス」と言ったので、お名前はと尋ねると、「竹村和子です」と答えた。

 その瞬間、血の気が引いた。日本のジェンダー研究「業界」ではあまりに高名な、あの竹村和子先生ではないか。何とマヌケな私。が、竹村さんはその著書から受ける鋭い印象とはまるで違い、優しく、よく笑う気さくな人だった。
 帰国後、竹村さんの存在を知った当時の学長から、竹村さんを琉大の経営協議会の外部委員に迎えたいので打診するよう依頼された。超多忙なあの方が引き受ける訳がないと思いつつ恐る恐る電話すると、竹村さんは開口一番こう聞いた。「私が断ったら、協議会に女性は何人いますか」。私が「恥ずかしながら0人です」と答えると「それはいけませんね」とだけ言い、縁もゆかりもない琉大の委員就任を承諾した。女性登用の舞台裏で、女性としてどう腹をくくるかをその姿に教わった。
 しかし、竹村さんはその任期中の2011年、がんで亡くなった。57歳の非凡な研究者の早世を世界中の仲間が悼んだ。その病床で力をふり絞り、私財を投じて設立したのが「竹村和子フェミニズム基金」である。女性のための活動や調査・研究を助成する基金だ。
 やり残したことはないかという伴侶の最後の問いに、「ない」と即答したという竹村さん。その遺志は、基金の活動を通して確実に広がり、受け継がれている。
(喜納育江、琉球大学ジェンダー協働推進室長)