<南風>小川先生と寺師先生


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 私の漢方の師は小川新先生と寺師睦宗先生である。
 漢方を志した時、広島で小川先生に出会った。先生は安芸(あき)浅野藩の御典医の家系で、広島市民病院外科部長時代から現代医学で解決できない病気の治療を漢方に求め、独自に漢方を始められた。特に腹部の診察について、従来の漢方のテキストの記載が臨床で診るのとは異なるとして、患者のおなかにフェルトペンでじかに所見を書き入れ、写真に記録し、治療過程における腹診の変化を紹介された。

 脈の診察や顔の表情などから全体を診察する望診においても達人の域におられ、卓越した診療で膠原(こうげん)病や腎炎、がんなどの難病治療で効果を上げておられた。初心者の私にはまねできる診療ではなく、漢方の優れた可能性を見せていただいたと思っている。また瘀血(おけつ)研究会を結成し瘀血の臨床研究の発表の機会を設けられた。瘀血とは漢方独特の概念で、血液の滞りによる末梢(まっしょう)循環障害が引き起こす生体の病的変化のこと。難病の背景には必ず瘀血があるとされる。
 先生は晩年、正月の番組でアネハヅルが8千メートルのヒマラヤを越える映像を見て、「自分は地を這(は)うように腹診の研究をしてきたが、臨床ではあの鶴のように高いところを超えて行きたい」と言われた。
 寺師先生は不妊症をテーマに東京・銀座で開業しておられる。現代日本漢方の祖とも言うべき大塚敬節先生の弟子のお一人である。1987年から2006年まで、沖縄で漢方古典医学講座を続けられた。『傷寒論』や『金匱要略(きんきようりゃく)』『類聚方広義(るいじゅうほうこうぎ)』『漢方診療三十年』など、日本漢方の基本を徹底的に講義された。先生は鹿児島のご出身で「かつて薩摩は琉球に悪いことをした。私が沖縄にお返しをしなければならない」と、特別の思いを持っておられた。全国でも優先的に最後まで沖縄での講義を続けられ、歴史の因縁を感じた。
(仲原靖夫、仲原漢方クリニック院長)