<南風>3・11


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 2011年3月11日に起きた東日本大震災から、ちょうど5年になります。その日は東京でも大きく揺れ、大学の研究室で一人で仕事をしていた私は、固定していなかった2段重ねの上段のキャビネットが滑り落ちてくるのを手で必死に押さえました。その間に書棚からはたくさんの本が滑り落ち、床一面に広がりました。私の人生の中で最も生命の危機を感じた瞬間だったと思います。

 一方、そのような東京の状況とは比較にならない強い地震と大津波に襲われたのが東北地方でした。私の義兄の里見進はそのとき、東北大学の病院長でした(現在は同大学総長)。大学病院自体が被災する中、入院患者と職員の安全確保、病院機能の復旧と仙台市周辺の医療機関への支援、県内外の医療機関への支援強化、避難所の長期的な診療体制の整備といった課題を次々とクリアしていったことが、東北大学病院のホームページの「東日本大震災について」のページから読み取れます。
 こうした対応がスムーズにとれるためには、災害を想定した定期的な訓練や、マニュアルの整備が必要となります。私は大学の環境安全の担当として、これらの備えを進めていく役割を担っています。大学には多くの学生と教職員だけでなく、病院への通院・入院・見舞いの方、見学に来た高校生や一般の方々、さらには学内保育園には小さな子どもたちもいます。いざというときに、これだけの人たちの安全を守っていかなければなりません。
 平穏に過ぎていく日々の中で、いつ来るかわからない災害に備えるというのは、実際には難しいことです。過去の出来事も積極的に意識しなければ次第に記憶が薄れていってしまいます。5年目の節目に、当時の記事なども読み直して、さらに気を引き締めていきたいと思います。
(南風原朝和、東京大学理事・副学長)