<南風>「避難所」にて


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 東日本大震災から5年の3月11日、福島県いわき市。一年に一度だけ通う、老夫婦が営む小さな中華屋。今年は回鍋肉(ホイコーロー)定食にした。

 2007年、那覇の桜坂で「アサイラム」というライブイベントを始めた。タイトルに“アサイラム=避難所”とつけたのは、音楽をはじめとする表現が、困難な時代を生きる時の避難所、拠(よ)り所になるという想(おも)いがあったから。
 震災の年、シンガー・ソングライターのタテタカコさんを通じて、福島でも「アサイラム」を、という声が届いた。「避難所」というタイトルが、被災地・福島でどう響くのか想像がつかなかったが、2012年から震災の日に合わせて「アサイラム・イン・フクシマ」が始まった。
 「3月11日は家族で過ごしたい人もいるけど、大勢で一緒にいたいという人も多い」。会場のライブハウスの店長、三ヶ田圭三さんは話す。出演者、スタッフ、観客、町の人が集まっての黙祷(もくとう)の時間。そこには、お互いが繋(つな)がっているような安心感が漂っていた。バンドはさまざまな想いを音楽に乗せて届けた。沖縄のマルチーズロックは小那覇舞天さんに倣って「命のお祝いをしましょう」と歌った。パンクバンド、ザ・スターリンの遠藤ミチロウさんが叫ぶ民謡や音頭。それは古くから民衆が放ってきたメッセージなのだと教えられた。
 翌朝、帰りの駅へ向かう表通りには、いつもと同じ穏やかな日常の風景があった。が、そこには同時に、何世代にも亘(わた)って引きずられることになるかもしれない重い現実も横たわる。そのことについて友人たちと多くの言葉を費やすことはなく、自分自身に何ができるのかもわからない。ただ一年に一度、この町で同じ時間を過ごすだけだ。
 きっと来年も、あの老夫婦の中華屋で、味の濃い中華を口にすることになるのだと思う。
(野田隆司、桜坂劇場プロデューサー・ライター)