<南風>沖縄での漢方復興


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 琉球王国時代の医師は漢方医だった。廃藩置県後ドイツ医学が採用され、沖縄でも漢方は表舞台から消えた。再び漢方薬が医療で使えるのは、1976年に保険適用が認められてからだ。

 広島で小川先生に「那覇に安部君がいるよ」と言われた。安部英治先生は広島で漢方修行をされ、那覇で薬局を開業しておられた。那覇で安部先生との勉強会を始めたとき、東京の朴庵塾で勉強された上原昇先生、開南薬局の渡慶次全康先生らが既に漢方薬を扱っておられた。漢方の空白時代は薬剤師によってその伝統が継承されていた。
 このような時を経て、87年、医師の間で漢方を勉強しようと同志が集まり、新垣敏雄先生を中心に沖縄漢方研究会が発足。これが日本東洋医学会九州支部沖縄県部会の基礎となり、沖縄にも漢方の学会発表の機会ができた。日本東洋医学会が医学の一分野として認められたことで日本医学会に参加することになり、それに伴い東洋医学会沖縄県部会も沖縄医学会の東洋医学分科会に位置づけられることになった。
 90年、琉球大学・坂梨又郎教授会頭、新垣準備委員長のもと沖縄で初の九州支部会が開催。以後沖縄県部会は毎年開催されるようになり、東洋医学会総会、九州支部会と併せて研究発表の機会が開かれた。
 そして2001年、医学部のコアカリキュラムに「和漢薬の概説ができる」という一項が入り、ついに漢方が正規の医学に顔を出すことになった。廃止から百年余。ようやく医学部に漢方の講義が義務付けられるようになった。
 今月15日から沖縄で初めて国際東洋医学会が沖縄コンベンションセンターで開催され、無料の市民公開講座も17日午後にある。関心のある方の参加をお待ちしたい。お問い合わせは(電話)098(859)2580(同大会事務局)。
(仲原靖夫、仲原漢方クリニック院長)