<南風>「新入生の指導教官」


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 新学期が始まった琉大キャンパスは、また1年を重ねて少し大人びた在校生に加え、初々しい新入生たちの姿で活気づいている。

 私は今年から、専攻の新1年次の指導教員を務めることになった。各年次の指導教員とは、いわゆるゼミの指導教員とは異なり、四年間の学業や生活全般に助言をする、いわば「大学版の学級担任」のことだ。
 指導教員制度は今でこそ日本の大学でも導入されているが、琉大では昔からあった。琉球政府立から国立、さらには国立大学法人へと移行した琉大には、創立時に米国の大学のモデルに倣(なら)って導入したさまざまな制度が今でも残っていて、それが琉大の特色になっている。米国で「アカデミックアドバイザー」と称されるこの制度もその一つだ。
 オリエンテーションで初対面した指導学生は、とにかく若かった。年々、新入生が幼くなる印象を受けるのは、私自身が年を重ねたからか。
 オリエンテーションでは、新入生に授業の登録方法を指導するために3年次にも来てもらった。「分からないことがあれば質問できるように先輩のメールアドレスを習ってください」と言えば、3年次曰く「大丈夫です。ラインがあるんで」。
 40年前は手紙や固定電話だった大学生のコミュニケーションの道具も、携帯電話、メールとなり、今はラインが主流らしい。ラインなんて危なっかしいと思っている私など完全に時代遅れなのだ。
 思うに最近の大学生が幼く感じるのは、ライン慣れした舌足らずの言葉遣いのせいなのではないか。こんな時代の文学教師だからこそ、私はむしろ肉筆や肉声での対話を要望したい。葬式で「へそ曲がりで厳しかったけど、あの先生なりのポリシーがあったよね」と教え子の語り草にでもなれたら、指導教員としては成仏できるというものだ。
(喜納育江、琉球大学ジェンダー協働推進室長)