<南風>奪われし未来


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 日々ジェンダーの問題を考えている者として、今回はとても気が重い。咲いたばかりの花のような美しい笑顔。この時、彼女は確かに生きていた。ちょうど私の教え子たちと同じ年代だ。

 彼女にはこれからどれほど幸せな未来が待っていただろう。何の罪もないのに、なぜ恐怖に震え、痛めつけられ、揚げ句の果てに命を奪われなくてはならなかったのか。彼女を思う人々の「あの笑顔にきっとまた会える」という希望の灯火(ともしび)が消えた瞬間、沖縄という場所の未来も闇に覆われた。
 米軍基地があるゆえに沖縄に存在した加害者であり、基地さえなければ起こらなかった犯罪だった。軍事基地は、人間の暴力の象徴である。暴力を正当化する論理で成り立っているのが軍隊であり、暴力を正当な行為として、意識にも身体にもすり込んでいく現場が軍事基地だ。
 しかし、今回の事件は基地が沖縄にもたらした暴力であると同時に、体力で勝る男性が弱い女性に対して振るった非情な暴力であることも忘れてはならない。
 昨今、私たちはかつてないほどの暴力が頻発する世界を生きている。相手に対する嫌悪や憎悪からの暴力や暴言はこれまでにもあった。しかし、最近の傾向として見過ごせないのは、加害者に何の恨みもあるはずがない人間(特に女性や子ども)や動物を、死に至るまで暴行したり、虐待したりする事件が後を絶たないことだ。これらと今回の事件は同じではないが、暴力をより凶暴にしているのが、加害者の卑小な自尊心と自己中心さと臆病さにある点は共通している。
 自分より弱い者に暴力を振るう加害者は、自分の弱さを暴力でごまかす卑怯な人間だ。自らの卑怯を恥じることを忘れた民で埋め尽くされ、ただの暴力をまるで正当な行為のように語るような国に住む私たちに、もはや未来はない。
(喜納育江、琉球大学ジェンダー協働推進室長)