<南風>仕事への誇り


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 私の父は野菜の世話が上手だ。無肥料の冬瓜(トウガン)を育てた時、私は家で食べる分もなかったが、父は売れるほど採れた。だから、手伝いをお願いするが、「体に叩(たた)き込まれたことで、自分の意思ではない。むしろ畑をすると小さい頃を思い出して不愉快だ」と頑(かたく)なになる。

 父は幼少から畑の手伝いをさせられていた。祖父は戦時中、過酷な部隊にいたため鉄拳制裁が当たり前。畑を手伝わない選択肢はなく、間違ったことをすると鎌が飛ぶ。当時、バスで畑に通う祖父は、スコップに野良着で憮然(ぶぜん)とした態度。一緒に通う父は周りの目が気になりとても苦痛だった。

 そんな中、祖父母は父に「自分たちみたいになりたくなかったら、勉強しろ」と言った。自分の仕事を卑下した言い回しは、子どもの心をへし折った。

 私も畑を始めて7年。天候が野菜に大きく影響し、収穫までに時間がかかるが単価は低い。くじけそうになり、もう辞めようかと悩む。しかし畑の野菜が食卓に並び、娘が「これ美味(おい)しい」と言うと値段以上の物に変身する。先日、次女の幼稚園でお父さんの仕事について話す場があり、シャイな次女は勇気を出して「畑でお野菜作ってます」と発表した。みんなから「すごいね」と言われて、嬉(うれ)しかったと恥ずかしそうに教えてくれた。長女は、野菜の袋詰めを自ら手伝ってくれる。娘たちなりに畑を楽しんでいる。

 戦後の動乱期だった当時、祖父に職業を選ぶ余裕はなく、家族を食べさせることに必死だった。祖父母も父にそう思ってほしかったわけではないだろう。父には、祖父とできなかった気持ちの通いを孫としてほしい。どんなにきつく汚くてもギュって子どもを抱き締めて心を通わせる大切さ。祖父が家族を支えようと汗水流した畑で今、娘と気持ちを通わす機会があることに深く感謝している。
(玉城真 うえのいだ主宰、珊瑚舎スコーレ美術講師)