<南風>犬には向かない職業


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 人間の脳下垂体と精巣を移植された犬が、名声と女性を欲し、人権を求めて労働者階級と共闘しながらブルジョワを震撼(しんかん)させる『犬の心臓』というSFがある。

 モスクワで独裁者スターリンの弾圧に怯(おび)えながら、ミハイル・ブルガーコフが書いたこの体制批判の小説は国家政治保安部に押収され発禁となり、活字になるまで死後28年を要した。
 実はこの隠喩には『タイム・マシン』や『透明人間』を書いたH・G・ウェルズという先駆者がいる。『モロー博士の島』は他の生物を人間のように改造するという設定が話題を呼び何度も映画化された。島の「生物学研究所」には語り手に忠実な犬男がいて、一方血の味をおぼえ、人間に反抗する獣人である豹人、ハイエナ&豚男が登場する。
 社会主義に傾倒し、第一次世界大戦前に原爆を予見していたウェルズは人類への憂慮を「科学ロマンス」に託していたのだろうか。
 わがクールジャパンも負けてはいない。浅草蔵前の境内に珍しい純白の戌(いぬ)が迷い込んだ。巷(ちまた)では白犬は人間に近いというから、おまえは来世で人間に生まれ変われると言う。犬もその気になって、人間になれますようにと八幡さまに願掛け。祈りが通じたのか、満願の日の朝、一陣の風が吹くと、毛皮が飛び、気がつけば人間に。ご存じ『元犬』の一席である。わたしもこれに啓発されて『元牛』という新作落語を作った。
 ミステリーの世界ではロイ・ヴィカーズの『百万に一つの偶然』が白眉である。ネタバレになるが、大型犬のマスティフ種が見事な小道具をつとめている。
 中世末期世俗写本の『狩猟の書』を書いたガストン・フェビュス三世は、犬を「神がかつて作りたもうた、最も理性があり最も慎重な、最も高貴な動物」と評した。
 したがって、かつて政治家ならぬ政治屋に転身した犬は存在しない。
(又吉正直、日本獣医師会 学術・教育・研究委員会委員)