<南風>蝶と厨子甕


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 先日祖父が逝った。享年97歳の大往生。眠るように息を引き取った。祖父は戦争体験によって愛情表現が壊れ、親子3代にわたって苦しんできた。しかし、自分が親になって初めてこの負の連鎖に気づき、断ち切りたいと思い続けてきた。

 幼児期にいかに親の愛情が伝わっているかが重要だと思い、日々悩みながらではあるが、孫と接する父の姿をみて未来は変えられると実感した。世代が続いている限り、どこかに変われるきっかけと可能性はあるし、人はとても希望的な可塑(かそ)性をもっていると思う。

 祖父の納骨の際、墓の中に、数百年たったと思われる厨子甕(ずしがめ)が三段にわたって並び、想像していなかった光景に圧倒された。個で生きているのではなく、私が今こうしていることは、過去の身内の人生の集合でもあることを実感し、今まであまりにも容易に自己を優先させて物事を考えてきたのではないかと思った。

 どんなにひどくつらいものでも、生を受けて生き繋(つな)いでくれたことがそのまま未来の子孫の可能性を担保している事実だけで、とても前向きで素晴らしいことだと信じられる。不思議と墓の周りを飛び舞うたくさんの蝶(ちょう)。いろいろあった祖父だが、あの地獄のような戦争から帰ってきてくれただけで、意味があると思えた。私が今ここに生きていることを肯定するだけで十分だ。命を繋いでくれた祖父と父に素直に感謝を伝えたい。

 最後に、幼い頃、家庭で十分に甘えられなかった分、身勝手なことも許して付き合ってくれた友人や恩師たちに心から感謝を述べたい。未熟な自分を受け入れ、一緒に暮らしている妻と娘に、未来の幸せを約束し、今回このようなことを書く機会を与えていただいた琉球新報社の方々と稚拙な文を読んでいただいた読者の方々に感謝を述べたい。ありがとうございました。
(玉城真、うえのいだ主宰、珊瑚舎スコーレ美術講師)