<南風>沖縄を出た、やっぱり沖縄人だった


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 はいた~い、アロハ。
 私には、声を大にして自慢できることがあります。それは、ウチナーンチュであるということです。しかし、その誇りを得るまでには、いくつものステップがありました。今日は、自己紹介を兼ねて、そのステップを皆さんと共有したいと思います。

 自分を語る上で、学生時代を欠くことはできません。古蔵小・中学校、那覇高校出身。バスケ部、ダンス部。体育会系で、常にショートヘア、時には刈りアゲ。最高の友達に囲まれた学生時代を送りました。

 高校卒業後、横浜の関東学院大学建築学科へ進学しました。初めての沖縄を離れての生活。今まで感じたことのない、言葉・風習の違いに戸惑い、なかなか自分を出せず、もがいていました。

 しかし、卒業設計で取り組んだ「知念グスク」を敷地としたプロジェクトが大学代表に選ばれ、ロシアPNU国際交流フォーラムで最優秀賞を受賞。ウチナーンチュとしての誇りを得るきっかけとなりました。

 琉球大学修士課程へ進むため帰郷。久しぶりの沖縄での生活に、心地良さを感じたのを覚えています。

 その後、1級建築士を取得し、ハワイで1年間仕事をする機会がありました。初めての海外生活。英語が全くできなかった私は、またもや自分を表現することができずに苦しんでいました。そんな中、ハワイのウチナーンチュたちとの出会いが、英語で自分を表現する大きな手助けとなり、その中で、私の沖縄への誇り・アイデンティティーは深みを増していきました。

 ハワイ移住2年。人生は学びで溢(あふ)れています。今月から半年間、隔週土曜日の南風を担当させていただきます。ハワイでの発見や経験を通し、みなさんと学びを共有していけたらと思っています。ではまた再来週。
(比嘉具志堅華絵、ハワイ沖縄連合会会員、『SHINKA』副会長、1級建築士)