<南風>与那原大綱曳の力(2) 大正区の沖縄文化


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 大正時代に現在の東洋紡の前身である大阪紡績会社の大工場が大正区にありました。丸太を水面貯木する木場もあり、製材業も盛んでした。当時は沖縄と大阪を結ぶ船の定期航路があり、それに乗って沖縄から女性は紡績会社の女工に、男性は製材所の職工にと、多くの方々が大正区に移り住まわれました。以降、親戚知人を頼って移住者は増え続け、今では大正区民の4分の1が沖縄出身者とその家族と言われます。

 しかし、沖縄から移住した方に対しては、言葉の壁、文化習慣の違い等による偏見が生まれ、移住が始まる以前から大正区に住んでいた区民との間には大きな溝がある状態が続きました。
 私が大正区長に就任した7年前でも、区役所では「行政は全ての区民に公平に対応しなければならない」という理由から、行政が沖縄文化をPRすることはタブー、とされていました。大正区が「リトル沖縄」と言われると、「大正区は沖縄ではない」という沖縄出身以外の区民からの反発があります。区役所発行の「大正区史」を見ても沖縄のことは1行も書かれていません。
 これには強い違和感を覚えました。大正区は元来、川と海に囲まれた土地柄の「水運のまち」であり、紡績から造船・製鉄と続く「ものづくりの伝統と技術力」で栄えてきたまちでもあります。これらの発展には沖縄出身の区民の長年にわたる奮闘努力が大きく貢献し、その生活の中で心の支えとなった沖縄文化や伝統芸能が伝承されて今、大正区にあることも事実なのです。
 そんな時にNHK朝ドラ「純と愛」の舞台地に大正区が選ばれました。「これを契機に、人口減少が続く大正区の衰退を止めるため沖縄文化の魅力を区の内外に発信し、全区民にその魅力を認知してもらおう」
 私はそう決心しました。
(筋原章博、大阪市大正区長)