<南風>かりゆしウエア 躍進の背景


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 かりゆしウエアはすっかり県内に定着している。「父の日」の贈答品の定番だ。県衣類縫製品工業組合は2014年に過去最高の生産枚数49万3千枚を記録した。1999年の組合設立時は5万8千枚、15年間で8・5倍になった。

 本土の中小縫製業は輸入品に押され縮小や廃業もある中、なぜ沖縄のかりゆしウエアは元気があるのだろうか。それはまず、県民に受け入れられたことが大きい。県内縫製業界は奮い立った。次いで、官公庁、団体、企業などが積極的に着用したことも強い力となった。県も技術向上への支援を続けた。さらに、国のクールビズ推進の風に乗り、内閣も率先して着た。かりゆしウエアには、大応援団がいた。
 2000年の沖縄サミット開催に伴い、それまで、ばらばらだった名称を定義を含めて統一する必要が出た。県に設置したウエアネーミング統一委員会で検討した結果、名称は圧倒多数で「かりゆしウエア」に決まり、定義は「県内縫製で沖縄らしさを表現したもの」と定まった。
 直ちに商標登録を進め、偽物の市場流入を防いだ。ブランドを守るには知財権が核心となる。以前、ハワイでアロハシャツやムームーの売り場を見て回ったが、大半は外国製だった。ハワイはここを失敗した。もし、「ハワイ縫製」という定義と知財権で防御していたら、ハワイの縫製業は一大産業になっていたと思う。
 今、かりゆしウエアはセカンドステージに入った。長袖、10代向け、リゾート用、結婚式用など世代別、目的別の要求がある。ファッションの世界は、常に新しいニーズや多品種小ロットとの戦いである。しかし、それらを克服する先にさらなる飛躍がある。
 かりゆしウエアが日本を代表するアパレルの一つになる日はそれほど遠くないと思う。
(桑江修、沖縄県工業連合会専務理事)